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イギリスの産業革命

 

 イギリスで産業革命が初めて始まった背景には、16世紀以降、毛織物工業を中心として発達したマニュファクチュア(工場制手工業)による資本の蓄積がある。

 また、植民地開拓による広大な海外市場の確保と清教徒革命(ピューリタン革命)名誉革命との二度の革命による社会・経済的な環境の整備がある。これによって、蓄積された資本と自由な経済活動の保障は産業資本家を出現させた。

 18世紀から19世紀にかけておきたい囲い込み(エンクロージャー)により土地を失った農民は、都市に流入し産業革命に必要な安価な労働力として賄われた。

 さらに、技術革命も産業革命において重要な要因であった。ジョン・ケイが発明した「飛び杼」による綿織物の生産技術の革新、ワットが改良した蒸気機関による動力革命、フルトンが蒸気機関を応用した蒸気船やスティーブンソンが実用化した蒸気機関車による交通革命があげられる。これで、多量のものを遠いどころまで送ることができるようになった。

 

清教徒革命(ピューリタン革命) 1642 ピューリタンを中心とする議会派が絶対王政を打倒した市民革命
名誉革命 1688 旧教復興を図るジェームズ3世に反対した議会はオランダから新教徒のウィリアムとメリーを王座に即位させ、権利章典に署名させた。
囲い込み(エンクロージャー)   領主が農民から没収した畑や共有地だった土地を囲いて牧場に転換させた一連の事件
技術革命   ジョン・ケイ「飛び杼」(1773)
ワット 「蒸気機関」(1769)
フルトン 「蒸気船」(1807)
スティーブンソン 「蒸気機関車」(1825)

 

 

飛び杼
清教徒革命

 

 

 

資本主義の登場と労働運動

 

 イギリスでは機械工業で安価な商品の大量生産を実現するにつれて、工場を経営する産業資本家が現れ、経済力と政治的な発言力を強めた資本主義会社を確立した。さらに工場で働く労働者が急速に増加し、人口が都市に集中することによって、マンチェスター(綿工業)やバーミンガム(製鉄業)、リヴァプール(貿易港)などの大都市が形成された。イギリスは世界中から原材料を輸入しその原材料を元として製品を生産し、世界へ輸出する、「世界の工場」と呼ばれる工業大国となった。

 一方で、労働者は機械使用の普及による失業のおそれを感じ、労働運動の先駆者とされるラダイト運動を起こした。その後、本格的な労働運動が進み、世界初の労働組合が誕生された。

 

ラダイト運動 1810 イギリス中・北部の織物工業団地で機械製工業の発生で失業の危険に直面された労働者の機会破壊運動。
世界初の労働組合 1834  

 

 

 

 

 

 

イギリスの北アメリカ植民地

 

 イギリスは、18世紀前半まで北アメリカ大陸の東部地域に13個の植民地を建設した。これらの植民地に移住したのはイギリスでの国教会体制を嫌うピューリタン(清教徒)や新大陸での利益をねらう人々であった。イギリスはアメリカ植民地を商品市場と原料供給地として利用していた。植民地の北部は自営農民・商工業者が中心で、南部は黒人奴隷を使用したフランテーション(大農園)が発達していた。イギリスは七年戦争に勝利し、フランスからカナダとミシシッピ川以東のルイジアナなどを獲得した。

 

国教会体制   16世紀、イギリス宗教改革によって成立したイギリス国王を首長とした教会。プロテスタントではあるがピューリタンとは対立し、名誉革命後は国家宗教として確立した。
七年戦争 1756~1763 プロイセン王国とオーストリアの対立を軸として、プロイセンはイギリスと、オーストリアはフランスとロシアと同盟して戦った戦争

国教会体制を始めたヘンリー8世

 

 

 

 

アメリカの独立戦争

 

 七年戦争の終結後、財政難になったイギリスは植民地に税をかけることでまかなうことにした。これに対して、植民地の人々は一方的な税の取り立てに抗議をした。印紙法に対しては「代表なくしては課税もなし」を主張する反対運動がおこり、翌年撤廃された。茶法に対しても、反対していた急進派市民によりボストン茶会事件が勃発するとイギリスはボストン港を閉鎖して、軍隊を駐屯させた。このようにイギリスは力で抑えようとしたため、13の植民地は大陸会議開いて結束し、植民地軍はフランスなどの支援を得てイギリスを追い詰めていった。植民地軍はワシントンを総司令官に任命して戦ったが当初は苦戦していた。

 しかし王政を批判し独立して共和国を建設することの正当性を訴えたトマス・ペインの「コモン・センス」が発刊されると独立の方向性が一層明確となった。

 

印紙法 1765 各種の印刷物に輸入印紙の付着を義務化する法
ボストン茶会事件 1773 イギリスが茶法を制定して、東インド会社に茶の転売権を与えたことを反対した植民地の急進派が起こした事件
「コモン・センス」 1776 アメリカの独立は当然の権利で、必然的であったことを正当化した書籍

 

 

 

 

アメリカの独立

 

 13の植民地の代表はトマス・ジェファソンらが起草した独立宣言をフィラデルフィアで発表した。ジョン・ロックの思想の影響を受け、人間の基本的人権、革命権を主張し、13の州の独立を宣言したものであった。

 アメリカの援助要請によってフランス・スペイン・オランダが参戦し、ヨーロッパではイギリスの孤立政策を取った。戦争が終結し、パリ条約が結ばれ、アメリカの独立が承認された。世界初の近代的成文憲法として人民主義・連邦主義・三権分立を採用した合衆国憲法が発効され、合衆国憲法にもとづく初代大統領にワシントンが就任された。

 

ジョン・ロック   イギリスの哲学者で、「統治理論」などで名誉革命を正当化し、社会契約と抵抗権に対する思想はアメリカの独立宣言とフランスの人権宣言を影響を与えた。
パリ条約 1783  
近代的成文憲法 1787  
ワシントンの就任 1789  

ジョージ・ワシントン

 

 

 

 

啓蒙思想の登場

 

 18世紀後半のフランスには三部会という厳しい身分制議会存在した。第一身分(聖職者)と第二身分(貴族)は免税の特権を持ち、第三身分(市民と農民)は全人口の98%を占めるのも重税に苦しんでいた。第三身分には農民のほかにも富を蓄えた都市の有産市民層(ブルジョア)がいるが、彼らはその実力に見合う権利を持っていないことに不満を感じていた。

 そのような都市の市民を中心に、絶対王政や不合理な社会制度を批判する啓蒙思想が広まった。教会や王制を激しく攻撃したヴォルテール、「法の精神」で三権分立を主張したモンテスキュー、「社会契約論」で平等主義にもとついた人民主義論を展開したルソーが代表的であった。

 

三部会   1302年からフランスが招集した身分制議会で、1614年からフランス革命があった1789年まで開かれなかった。
モンテスキュー   フランスの哲学者で、フランスの絶対王政を批判した。政治権力を分割し、均衡と抑制による権力分立の基礎を固めた。著書で「法の精神」(1748)がある。
ルソー   フランスの啓蒙思想家で、社会契約に基づいて封建社会と絶対王政を批判した。 著書で「 社会契約論 」(1752)がある。

 

 

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